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  代替前言。二月初,小站張貼了「日本作家村上春樹獲耶路撒冷文學獎」這篇文章。一開始,僅為這位我持續閱讀十二年之久的日本作家感到恭喜,但沒想到得獎之際還惹出一段風波。從友人寄來的信,大概可窺見一斑──


  「日本這些天,有件事鬧得沸沸揚揚,就是村上春樹得到『耶路撒冷獎』!日本方面支持巴勒斯坦的基金會和一些人發了公開信給村上春樹,要求他拒絕獎項、更不要出席領獎!最後,村上春樹還是決定前去。在此之前,一些國外獎項村上春樹並沒有都出席——卡夫卡獎倒是自己去了,因為是向卡夫卡致敬。現在搞這種陣仗,叫村上春樹不要去領,他大概會變成一定要去啦!因為他老兄一定認為這是個人自由。

   村上春樹素來是同情猶太人的(二戰時納粹/猶太人之間的關係),也還敬重、喜歡猶太作家。以色列對巴勒斯坦的暴行,這種受害者/加害者交互傷害的悲劇村上春樹也不是不知道,他對巴勒斯坦一定也充滿同情和支持(他當年還去土耳其庫德族人居所)。但是,如果認為他去領了獎,就是幫以色列除罪化,也未免太誇大了一些。而且為什麼就是有那麼多人要求「別人」表態來支持自己的理念?(不管這個理念多麼有正當性,以這種方式,就是可議。我不曉得追殺《魔鬼詩篇》的作者魯西迪時這些人有沒有站出來發表甚麼意見。)

   村上春樹可以選擇去與不去。但如果有人站出來,以道德判定者的姿態教人家不要去,也一樣是恐怖的暴力。不過,當文學被政治扯上時,真的很麻煩!巴勒斯坦人薩依德和猶太人巴倫波英是音樂上的好朋友(大家可以去看他們對談的書,真是一本好書:《並行與弔詭》,麥田出版),他們兩人加上馬友友,長期合辦了打破種族藩籬的音樂營。「猶太人」巴倫波英也回到以色列推介、指揮「親納粹」的華格納樂曲。

   村上春樹這次明知會得罪一些人。可是他還是不理,執意要去!當然不是只為了一個國外的獎項,而是一種意見的表達!

   世事還真麻煩哪。」




【朝日新聞報導】

  スラエル最高の文学賞、エルサレム賞の受賞者に決まった作家、村上春樹さんに対して、大阪の民間団体「パレスチナの平和を考える会」がホームページに公開書簡を掲載し、受賞の辞退を求めている。欧米などから集まった賛同者約800人の署名を、村上さんに渡したいという。

  同会はホームページ上に、村上さんへの公開書簡として、同賞は「社会における個人の自由」への貢献を讃えるものとしているが、イスラエルがガザで行った虐殺などは賞の趣旨に反する、などとした文書を掲載している。同会の役重善洋事務局長は「国際的に有名な村上さんの受賞は、イスラエルの戦争犯罪を隠し、免罪することにつながる」と懸念している。

(以上均摘自友人‧藤姐的留言板)




  個人覺得,要是真能要能「凱薩的歸凱薩、基督的歸基督」還真是不容易的說呢。總喜歡的事情混在一起來看,然後當作是一模一樣的事情來處理、操作的傢伙,在這世界上還真是不少啊!不過,村上春樹於獲獎時的感言演說中所說的,確實值得讓我們靜下來好好想想,到底人是為何存的!

  以下,分就此演說稿,以中文翻譯、日文翻譯,還有原文等三種語言,將村上春樹此次的殊榮,與各位分享!同時,也感謝藤姐,還有朱學恆老師的中文翻譯。





譯/朱學恆

  我是以小說家的身份來到耶路撒冷,也就是說,我的身份是一個專業的謊言編織者。

  當然,說謊的不只是小說家。我們都知道,政客也會。外交人員和軍人有時也會被迫說謊,二手車業務員,屠夫和工人也不例外。不過,小說家的謊言和其他人不同的地方在於,沒有人會用道德標準去苛責小說家的謊言。事實上,小說家的謊言說的越努力,越大、越好,批評家和大眾越會讚賞他。為什麼呢?

  我的答案是這樣的:藉由傳述高超的謊言;也就是創造出看來彷彿真實的小說情節,小說家可以將真實帶到新的疆域,將新的光明照耀其上。在大多數的案例中,我們幾乎不可能捕捉真理,並且精準的描繪它。因此,我們才必須要將真理從它的藏匿處誘出,轉化到另一個想像的場景,轉換成另一個想像的形體。不過,為了達成這個目的,我們必須先弄清楚真理到底在自己體內的何處。要編出好的謊言,這是必要的。

  不過,今天,我不準備說謊。我會盡可能的誠實。一年之中只有幾天我不會撒謊,今天剛好是其中一天。

  讓我老實說吧。許多人建議我今天不應該來此接受耶路撒冷文學獎。有些人甚至警告我,如果我敢來,他們就會杯葛我的作品。

  會這樣的原因,當然是因為加薩走廊正發生的這場激烈的戰鬥。根據聯合國的調查,在被封鎖的加薩城中超過一千人喪生,許多人是手無寸鐵的平民,包括了兒童和老人。

  在收到獲獎通知之後,我自問:在此時前往以色列接受這文學獎是否是一個正確的行為。這會不會讓人以為我支持衝突中的某一方,或者認為我支持一個選擇發動壓倒性武力的國家政策。當然,我不希望讓人有這樣的印象。我不贊同任何戰爭,我也不支持任何國家。同樣的,我也不希望看到自己的書被杯葛。

  最後,在經過審慎的考量之後,我終於決定來此。其中一個原因是因為有太多人反對我前來參與了。或許,我就像許多其他的小說家一樣,天生有著反骨。如果人們告訴我,特別是警告我:「千萬別去那邊,」「千萬別這麼做,」我通常會想要「去那邊」和「這麼做」。你可以說這就是我身為小說家的天性。小說家是種很特別的人。他們一定要親眼所見、親手所觸才願意相信。

  所以我來到此地。我選擇親身參與,而不是退縮逃避。我選擇親眼目睹,而不是蒙蔽雙眼。我選擇開口說話,而不是沈默不語。

  這並不代表我要發表任何政治信息。判斷對錯當然是小說家最重要的責任。

  不過,要如何將這樣的判斷傳遞給他人,則是每個作家的選擇。我自己喜歡利用故事,傾向超現實的故事。因此,我今日才不會在各位面前發表任何直接的政治訊息。

  不過,請各位容許我發表一個非常個人的訊息。這是我在撰寫小說時總是牢記在心的。我從來沒有真的將其形諸於文字或是貼在牆上。我將它雋刻在我內心的牆上,這句話是這樣說的:

  「若要在高聳的堅牆與以卵擊石的雞蛋之間作選擇,我永遠會選擇站在雞蛋那一邊。」

  是的。不管那高牆多麼的正當,那雞蛋多麼的咎由自取,我總是會站在雞蛋那一邊。就讓其他人來決定是非,或許時間或是歷史會下判斷。但若一個小說家選擇寫出站在高牆那一方的作品,不論他有任何理由,這作品的價值何在?

  這代表什麼?在大多數的狀況下,這是很顯而易見的。轟炸機、戰車、火箭與白磷彈是那堵高牆。被壓碎、燒焦、射殺的手無寸鐵的平民則是雞蛋。這是這比喻的一個角度。

  不過,並不是只有一個角度,還有更深的思考。這樣想吧。我們每個人或多或少都是一顆雞蛋。我們都是獨一無二,裝在脆弱容器理的靈魂。對我來說是如此,對諸位來說也是一樣。我們每個人也或多或少,必須面對一堵高牆。這高牆的名字叫做體制。體制本該保護我們,但有時它卻自作主張,開始殘殺我們,甚至讓我們冷血、有效,系統化的殘殺別人。

  我寫小說只有一個理由。那就是將個體的靈魂尊嚴暴露在光明之下。故事的目的是在警醒世人,將一道光束照在體系上,避免它將我們的靈魂吞沒,剝奪靈魂的意義。我深信小說家就該揭露每個靈魂的獨特性,藉由故事來釐清它。用生與死的故事,愛的故事,讓人們落淚的故事,讓人們因恐懼而顫抖的故事,讓人們歡笑顫動的故事。這才是我們日復一日嚴肅編織小說的原因。

  先父在九十歲時過世。他是個退休的教師,兼職的佛教法師。當他在研究所就讀時,他被強制徵召去中國參戰。身為一個戰後出身的小孩,我曾經看著他每天晨起在餐前,於我們家的佛壇前深深的向佛祖祈禱。有次我問他為什麼要這樣做,他告訴我他在替那些死於戰爭中的人們祈禱。

  他說,他在替所有犧牲的人們祈禱,包括戰友,包括敵人。看著他跪在佛壇前的背影,我似乎可以看見死亡的陰影包圍著他。

  我的父親過世時帶走了他的記憶,我永遠沒機會知道一切。但那被死亡包圍的背影留在我的記憶中。這是我從他身上繼承的少數幾件事物,也是最重要的事物。

  我今日只想對你傳達一件事。我們都是人類,超越國籍、種族和宗教,都只是一個面對名為體制的堅實高牆的一枚脆弱雞蛋。不論從任何角度來看,我們都毫無勝機。高牆太高、太堅硬,太冰冷。唯一勝過它的可能性只有來自我們將靈魂結為一體,全心相信每個人的獨特和不可取代性所產生的溫暖。

  請各位停下來想一想。我們每個人都擁有一個獨特的,活生生的靈魂。體制卻沒有。我們不能容許體制踐踏我們。我們不能容許體制自行其是。體制並沒有創造我們:是我們創造了體制。

  這就是我要對各位說的。

  我很感謝能夠獲得耶路撒冷文學獎。我很感謝世界各地有那麼多的讀者。我很高興有機會向各位發表演說。


中文翻譯來源:〈朱學恆的阿宅萬事通事務所〉(http://blogs.myoops.org/lucifer.php/2009/02/25/alwaysstandontheeggside#more504)




【新聞摘錄演說片段】






【日本語全譯】

  こんばんは。わたしは今日、小説家として、つまり嘘を紡ぐプロという立場でエルサレムに来ました。

  もちろん、小説家だけが嘘をつくわけではありません。よく知られているように政治家も嘘をつきます。車のセールスマン、肉屋、大工のように、外交官や軍幹部らもそれぞれがそれぞれの嘘をつきます。しかし、小説家の嘘は他の人たちの嘘とは違います。小説家が嘘を言っても非道徳的と批判されることはありません。それどころか、その嘘が大きければ大きいほど、うまい嘘であればいっそう、一般市民や批評家からの称賛が大きくなります。なぜ、そうなのでしょうか?

  それに対する私の答えはこうです。すなわち、上手な嘘をつく、いってみれば、作り話を現実にすることによって、小説家は真実を暴き、新たな光でそれを照らすことができるのです。多くの場合、真実の本来の姿を把握し、正確に表現することは事実上不可能です。だからこそ、私たちは真実を隠れた場所からおびき出し、架空の場所へと運び、小説の形に置き換えるのです。しかしながら、これを成功させるには、私たちの中のどこに真実が存在するのかを明確にしなければなりません。このことは、よい嘘をでっち上げるのに必要な資質なのです。

  そうは言いながらも、今日は嘘をつくつもりはありません。できる限り正直になります。嘘をつかない日は年にほんのわずかしかないのですが、今日がちょうどその日に当たったようです。

  真実をお話しします。日本で、かなりの数の人たちから、エルサレム賞授賞式に出席しないように、と言われました。出席すれば、私の本の不買運動(ボイコット)を起こすと警告する人さえいました。これはもちろん、ガザ地区での激しい戦闘のためでした。国連の報告では、封鎖されたガザ市で1000人以上が命を落とし、彼らの大部分は非武装の市民、つまり子どもやお年寄りであったとのことです。

  受賞の知らせを受けた後、私は何度も自問自答しました。このような時期にイスラエルへ来て、文学賞を受けることが果たして正しい行為なのか、授賞式に出席することが戦闘している一方だけを支持しているという印象を与えないか、圧倒的な軍事力の行使を行った国家の政策を是認することにならないか、と。私はもちろん、このような印象を与えたくありません。私は戦争に反対ですし、どの国家も支持しません。もちろん、私の本がボイコットされるのも見たくはありません。

  しかしながら、慎重に考慮した結果、最終的に出席の判断をしました。この判断の理由の一つは、実に多くの人が行かないようにと私にアドバイスをしたことです。おそらく、他の多くの小説家と同じように、私は人に言われたことと正反対のことをする傾向があるのです。「行ってはいけない」「そんなことはやめなさい」と言われると、特に「警告」を受けると、そこに行きたくなるし、やってみたくなるのです。これは小説家としての私の「気質」かもしれません。小説家は特別な集団なのです。私たちは自分自身の目で見たことや、自分の手で触れたことしかすんなりとは信じないのです。

  というわけで、私はここにやって参りました。遠く離れているより、ここに来ることを選びました。自分自身を見つめないことより、見つめることを選びました。皆さんに何も話さないより、話すことを選んだのです。
 ここで、非常に個人的なメッセージをお話しすることをお許しください。それは小説を書いているときにいつも心に留めていることなのです。紙に書いて壁に貼ろうとまで思ったことはないのですが、私の心の壁に刻まれているものなのです。それはこういうことです。

  「高くて、固い壁があり、それにぶつかって壊れる卵があるとしたら、私は常に卵側に立つ」ということです。

  そうなんです。その壁がいくら正しく、卵が正しくないとしても、私は卵サイドに立ちます。他の誰かが、何が正しく、正しくないかを決めることになるでしょう。おそらく時や歴史というものが。しかし、もしどのような理由であれ、壁側に立って作品を書く小説家がいたら、その作品にいかなる価値を見い出せるのでしょうか?

  この暗喩が何を意味するのでしょうか?いくつかの場合、それはあまりに単純で明白です。爆弾、戦車、ロケット弾、白リン弾は高い壁です。これらによって押しつぶされ、焼かれ、銃撃を受ける非武装の市民たちが卵です。これがこの暗喩の一つの解釈です。

  しかし、それだけではありません。もっと深い意味があります。こう考えてください。私たちは皆、多かれ少なかれ、卵なのです。私たちはそれぞれ、壊れやすい殻の中に入った個性的でかけがえのない心を持っているのです。わたしもそうですし、皆さんもそうなのです。そして、私たちは皆、程度の差こそあれ、高く、堅固な壁に直面しています。その壁の名前は「システム」です。「システム」は私たちを守る存在と思われていますが、時に自己増殖し、私たちを殺し、さらに私たちに他者を冷酷かつ効果的、組織的に殺させ始めるのです。

  私が小説を書く目的はただ一つです。個々の精神が持つ威厳さを表出し、それに光を当てることです。小説を書く目的は、「システム」の網の目に私たちの魂がからめ捕られ、傷つけられることを防ぐために、「システム」に対する警戒警報を鳴らし、注意を向けさせることです。私は、生死を扱った物語、愛の物語、人を泣かせ、怖がらせ、笑わせる物語などの小説を書くことで、個々の精神の個性を明確にすることが小説家の仕事であると心から信じています。というわけで、私たちは日々、本当に真剣に作り話を紡ぎ上げていくのです。

  私の父は昨年、90歳で亡くなりました。父は元教師で、時折、僧侶をしていました。京都の大学院生だったとき、徴兵され、中国の戦場に送られました。戦後に生まれた私は、父が朝食前に毎日、長く深いお経を上げているのを見るのが日常でした。ある時、私は父になぜそういったことをするのかを尋ねました。父の答えは、戦場に散った人たちのために祈っているとのことでした。父は、敵であろうが味方であろうが区別なく、「すべて」の戦死者のために祈っているとのことでした。父が仏壇の前で正座している輝くような後ろ姿を見たとき、父の周りに死の影を感じたような気がしました。

  父は亡くなりました。父は私が決して知り得ない記憶も一緒に持っていってしまいました。しかし、父の周辺に潜んでいた死という存在が記憶に残っています。以上のことは父のことでわずかにお話しできることですが、最も重要なことの一つです。

  今日、皆さんにお話ししたいことは一つだけです。私たちは、国籍、人種を超越した人間であり、個々の存在なのです。「システム」と言われる堅固な壁に直面している壊れやすい卵なのです。どこからみても、勝ち目はみえてきません。壁はあまりに高く、強固で、冷たい存在です。もし、私たちに勝利への希望がみえることがあるとしたら、私たち自身や他者の独自性やかけがえのなさを、さらに魂を互いに交わらせることで得ることのできる温かみを強く信じることから生じるものでなければならないでしょう。

本文摘自:http://www.47news.jp/47topics/e/93925.php




  〈Always on the side of the egg〉

By Haruki Murakami

  I have come to Jerusalem today as a novelist, which is to say as a professional spinner of lies.

  Of course, novelists are not the only ones who tell lies. Politicians do it, too, as we all know. Diplomats and military men tell their own kinds of lies on occasion, as do used car salesmen, butchers and builders. The lies of novelists differ from others, however, in that no one criticizes the novelist as immoral for telling them. Indeed, the bigger and better his lies and the more ingeniously he creates them, the more he is likely to be praised by the public and the critics. Why should that be?

  The reason for this, of course, was the fierce battle that was raging in Gaza. The UN reported that more than a thousand people had lost their lives in the blockaded Gaza City, many of them unarmed citizens - children and old people.

  This is not to say that I am here to deliver a political message. To make judgments about right and wrong is one of the novelist's most important duties, of course.

  It is left to each writer, however, to decide upon the form in which he or she will convey those judgments to others. I myself prefer to transform them into stories - stories that tend toward the surreal. Which is why I do not intend to stand before you today delivering a direct political message.

  Please do, however, allow me to deliver one very personal message. It is something that I always keep in mind while I am writing fiction. I have never gone so far as to write it on a piece of paper and paste it to the wall: Rather, it is carved into the wall of my mind, and it goes something like this:

  "Between a high, solid wall and an egg that breaks against it, I will always stand on the side of the egg."

  Yes, no matter how right the wall may be and how wrong the egg, I will stand with the egg. Someone else will have to decide what is right and what is wrong; perhaps time or history will decide. If there were a novelist who, for whatever reason, wrote works standing with the wall, of what value would such works be?

  What is the meaning of this metaphor? In some cases, it is all too simple and clear. Bombers and tanks and rockets and white phosphorus shells are that high, solid wall. The eggs are the unarmed civilians who are crushed and burned and shot by them. This is one meaning of the metaphor.

  This is not all, though. It carries a deeper meaning. Think of it this way. Each of us is, more or less, an egg. Each of us is a unique, irreplaceable soul enclosed in a fragile shell. This is true of me, and it is true of each of you. And each of us, to a greater or lesser degree, is confronting a high, solid wall. The wall has a name: It is The System. The System is supposed to protect us, but sometimes it takes on a life of its own, and then it begins to kill us and cause us to kill others - coldly, efficiently, systematically.

  I have only one reason to write novels, and that is to bring the dignity of the individual soul to the surface and shine a light upon it. The purpose of a story is to sound an alarm, to keep a light trained on The System in order to prevent it from tangling our souls in its web and demeaning them. I fully believe it is the novelist's job to keep trying to clarify the uniqueness of each individual soul by writing stories - stories of life and death, stories of love, stories that make people cry and quake with fear and shake with laughter. This is why we go on, day after day, concocting fictions with utter seriousness.

  My father died last year at the age of 90. He was a retired teacher and a part-time Buddhist priest. When he was in graduate school, he was drafted into the army and sent to fight in China. As a child born after the war, I used to see him every morning before breakfast offering up long, deeply-felt prayers at the Buddhist altar in our house. One time I asked him why he did this, and he told me he was praying for the people who had died in the war.

  He was praying for all the people who died, he said, both ally and enemy alike. Staring at his back as he knelt at the altar, I seemed to feel the shadow of death hovering around him.

  My father died, and with him he took his memories, memories that I can never know. But the presence of death that lurked about him remains in my own memory. It is one of the few things I carry on from him, and one of the most important.

  I have only one thing I hope to convey to you today. We are all human beings, individuals transcending nationality and race and religion, fragile eggs faced with a solid wall called The System. To all appearances, we have no hope of winning. The wall is too high, too strong - and too cold. If we have any hope of victory at all, it will have to come from our believing in the utter uniqueness and irreplaceability of our own and others' souls and from the warmth we gain by joining souls together.

  Take a moment to think about this. Each of us possesses a tangible, living soul. The System has no such thing. We must not allow The System to exploit us. We must not allow The System to take on a life of its own. The System did not make us: We made The System.

  That is all I have to say to you.

  I am grateful to have been awarded the Jerusalem Prize. I am grateful that my books are being read by people in many parts of the world. And I am glad to have had the opportunity to speak to you here today.


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